| やさしい人々 |
| 作 上野友実 |
| バキッ。 体の底から湧いてきた激流に身を任せたのと同時に、手にしていた携帯電話が2つに割れた。左手に液晶画面、右手にボタン画面。真ん中の繋ぎめから、その昔高校の保健の教科書で見た、動脈と静脈みたいな赤と青のコードが、ちぎれて、飛び出ている。 自分でやってしまったことながらも、半ば唖然とする。さっきまで体を支配していた怒りの感情が、放出されて、でもまだしびれたように、充満している。頭はぼーっとしたままだ。じんじんじんと、手の痛みが遅れてやってくる。 つい頭にきてしまったのは、さっきの電話の男がムカつく部下の話し方に似ていたからか。なんにせよ、こんな田んぼに囲まれた田舎の夜道にいきなり倒れていた謎の男の、携帯にかかってきた電話に出てしまった上、その携帯をふたつに割ってしまった…。少し興奮がおさまってきて、自分が相当面倒なことに首を突っ込んでしまったのだと気づく。 当の行き倒れの男は、まださっきまでと同じ格好で、倒れている。ぴくりとも動かない。私が携帯に施してしまった罪が、とりあえずまだ認識されていなくて、ちょっとだけほっとする。 それにしても、今しがたの電話をかけてきた、セバスチャンという男。全然「セバスチャン」じゃないだろ! いかにもチンピラみたいな喋り方…日本語の。セバスチャンって、何かの通り名? 目の前に倒れているこの人、「セバスチャン」に「先輩」と呼ばれていたけれど…一体どこの世界の先輩なんだ。 ぎゅるるるる。 そうこうしているうちに、お腹がすいてきた。そうだった、我が家で晩ご飯が待っている。もう、この際、この人ここに放置して家に帰ってしまおうか…ときびすを返しかけるも、そうはできなかった。自分でも不思議だが、この行き倒れの男に興味を持ってしまっている自分がいた。 「よいしょ」 なんとか男の腕を担ぎ上げて、引きずり出した。幸いにも家はこの田んぼを抜けてすぐのところにある。まだなんとか折り目が残っている黒のズボンを更にぐちゃどろにしてしまうのは申し訳ないけれど、この際仕方がないだろう。 |