創像工房 in front of. は、演劇・映画・お笑いなど
エンターテインメントを創作する慶應義塾大学の公認サークルです。

第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
最終回
第5話
やさしい人々
作 上野紗代子
 かれこれ5分くらい歩いているのだが、案の定彼のズボンの裾と靴は泥まみれになっていた。これはクリーニング代を払わなきゃいけないんだろうか。くそう。そろそろ実家を出ようと思って、昨日節約を決めた矢先だったのに。やっぱり一昨日『HERO』のドラマ版DVDボックスなんて買うんじゃなかった。と、考えて、私は足を止めた。別に彼を運ぶのに疲れたという訳ではない。彼の体重は異様に軽くて、中学生の妹にもたれ掛かられた時の方が重いんじゃないかという程だ。
 私はあたりを見回す。時間は7時を過ぎ、道は暗闇に包まれていた。こんな田舎道を照らすのは200メートル程度の間隔で立つ街灯しかなかった。その街灯も蛾がたかってるわ、ジジジジ、という音と共に点滅するわで、今にも消えてしまいそうだった。風がぴゅうっ、と音を立てて通り過ぎた。湿気のせいで余計寒い。そろそろ、コートを着る季節だっけ。そんな中、私はつい先月にフラれたたばかりの彼のことを思い出していた。ささいな喧嘩が元だった。そう。「ケチケチするな」と。予想外だった。ので、彼の股間に思わず蹴りを入れてしまったのが悪かった。彼は2週間ほど接骨院に通い詰めたらしい。別に、もう、昔のことだから気にしてはいないんだけど。
 街灯の点滅と共に肩越しにいる男の顔がわずかに照らされる。彼の髭と髪は伸ばしっぱなしで顔立ちはよく分からなかった。心なしか、頭からピザのような匂いがした。いや、でもピザってこんなにすっぱかったけ?そういえば、今日のご飯はなんだろう。そう思いながら、私は再び足を進めた。

 それにしても、家族の対応にはビックリした。何も聞かれなかった。妙子さんはこんなピザ臭のする男をあらあら、と客間に運ぶのを手伝ってくれた。今日のご飯が偶然にもピザで、客間からもピザの香ばしい匂い漂ってきた。私もご飯の支度を手伝おうと立ち上がって襖に手をかけた時、男が久しぶりに声をあげた。阿部寛のような、いい声だった。